100th ANNIVERSARY おかげさまで100周年

大正10年(1921年)私の祖父である蒲田善蔵が、羽田調帯様から独立し蒲田商店を創業してから100年が経過しました。
長年にわたりお客様からご愛顧をいただいた事を、先ずもって心より感謝申し上げる次第です。
また100年の間には、関東大震災、昭和恐慌、太平洋戦争、ドッジライン、東京オリンピック後の不況、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック等々数々の衝撃に襲われました。
その荒波を、その都度お取引金融機関様・仕入れ先様のご支援、先輩諸氏のご尽力により乗り越えることが出来、無事に本日を迎える事が出来ました。本当にありがとうございます。
また社員諸氏の真摯な行動の積み重ねにより、おかげさまで昨今の業績は順調でございます。
これからも故一倉定先生や小宮一慶先生始め多くの賢人、先人の教えをしっかりと守りながら、引き続き【お客様のお困り事解決の道】を突き進み、社会に貢献して参ります。
100年間の主な出来事を簡単にまとめましたので、お目を通していただければ幸いです。
今後ともご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。

代表取締役 蒲田善明

経営者のチャレンジと
事業の変遷

経営者のチャレンジ

蒲田工業の経営者は、行動力・真面目さ・明るさ・前向きさを持ち、
創業以来「お客様のお役に立つ」ことを社是に、様々なチャレンジを繰り返してきました。

創業者 蒲田善蔵

1921年(大正10年)蒲田商店を設立 創業者 蒲田善蔵

1884年(明治17年)、父善三の長男として誕生。1903年(明治36年)に羽田調帯に入社。19歳の頃から「ベルト」の仕事に携わり始め、1921年(大正10年)には、蒲田商店を設立。
昭和金融恐慌、第二次世界大戦などを乗り越え、蒲田工業株式会社の創業者として、100年の歴史の礎を築いた。

創業者 蒲田善蔵のチャレンジ
蒲田商店設立と飛躍

1921年(大正10年)

蒲田式商法と称されるほどの営業力を備えていた蒲田善蔵。創業当初から日本全国を飛び回り商機を拡げた。

蒲田商店設立と飛躍
ダンロップ総代理店としての再起

1925年(大正14年)

関東大震災の影響から大阪へ移住。羽田調帯時代からの人脈と営業力を武器に、ダンロップ総代理店として再起した。

ダンロップ総代理店としての再起
蒲田調帯株式会社を
設立

1929年(昭和4年)

三重県四日市市に、当時では最大級のコンクリート造りの工場を設立。蒲田ベルトの販路を拡大していった。

蒲田調帯株式会社を設立
昭和恐慌と第二次世界大戦を乗り越えた末のベルト事業再開

1947年(昭和22年)

昭和恐慌と第二次世界大戦を乗り越え、ZKレーシング製造株式会社を創設。さらに、蒲田工業(前蒲田商店)も吸収。一度は離れたベルト事業だったが、アイデア・特許などを活かして事業を再開した。

昭和恐慌と第二次世界大戦を乗り越えた末のベルト事業再開
レーシング製造とトーヨーベルト代理店を両立。
さらに静岡県富士出張所設立

1953年(昭和28年)

東洋ゴム工業から「都内の一流代理店に取り扱ってもらいたい」という要望を受け、トーヨーベルト販売を開始。多忙を極める中、妻のきよゑがレーシング製造を支えた。昭和27年には、静岡県富士市に出張を開設し、さらなる販路拡大に成功した。

レーシング製造とトーヨーベルト代理店を両立。さらに静岡県富士出張所設立
胸像建立、紺綬褒章、東京都知事と中小企業長官からの表彰

1959年(昭和34年)

日本のベルト業界を牽引した蒲田善蔵は、東部ゴムベルト商業会顧問などの要職に就き、それらの功績が認められ、紺綬褒章を受賞。さらに蒲田工業は、東京都知事、中小企業長官から表彰を受けた。そして、胸像が建立されるなど、ベルト業界にとどまらず、戦後の中小企業界を代表する経営者と評された。

胸像建立、紺綬褒章、東京都知事と中小企業長官からの表彰
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創業者 蒲田善蔵

1962年(昭和37年)代表取締役社長に就任 二代目社長 蒲田善一郎

1924年(大正13年)、創業者善蔵の長男として誕生。豊橋第一予備士官学校を卒業後、第二次世界大戦末期には、伊豆大島へ配属された。その後、早稲田大学へ再入学し、卒業後に蒲田工業に入社。1991年(平成3年)に代表取締役会長に就くまで、第一線で蒲田工業の飛躍を牽引した。

二代目社長 蒲田善一郎のチャレンジ
第2代蒲田工業株式会社代表取締役社長に就任。組織化に力を注いだ

1962年(昭和37年)

初代社長の稀有な営業力で築いた実績を引き継ぎ、それをより高めたいくために、組織化・顧問制度・社外講習などに力を注いだ。経営方針の徹底を図りながら外部からの意見を積極的に取り入れ、社員の意識向上と精鋭化をめざした。

第2代蒲田工業株式会社代表取締役社長に就任。組織化に力を注いだ
日本最大規模のコンベヤベルトを納入。ベルトのKAMATAとして飛躍を遂げた

1966年(昭和41年)

ZKベルトレーシングへの需要が衰退する中でも新製品を開発するなどして、過去最高の売上高を更新。さらに日本鋼管株式会社(現・JFEスチール株式会社)へコンベヤベルトの納入が始まり、ベルトのKAMATAとして地位を築いた。

日本最大規模のコンベヤベルトを納入。ベルトのKAMATAとして飛躍を遂げた
営業所を拡大し、細やかな営業体制を確立した

1974年(昭和49年)

ベルト需要の拡大に応え、大阪・福山・川崎へ新たな営業所を開設しながら、営業体制を確立した。昭和63年に南関東出張所を開設するまでこの流れは続き、現在の蒲田工業の営業所の礎となっている。

営業所を拡大し、細やかな営業体制を確立した
本社工場を新築・移転し、生産体制を拡充した

1980年(昭和55年)

過去最高の売上高を更新しながら、蒲田工業は変革・成長を続けた。一方、当時の本社・工場(東五反田)では、騒音問題や労働環境問題を抱えていた。そのような中で、創業60周年間近の1980年に、京浜島の工場団地に本社・工場を新築。多品種少量生産にも対応できる生産体制を構築した。

本社工場を新築・移転し、生産体制を拡充した
創業70周年に併せて代表取締役会長に就任

1991年(平成3年)

ベルト需要の激しい変化に併せて蒲田工業も、量販から多品種少量・高付加価値へとシフトし、多くの変革を達成した。創業70周年を迎えた1991年、蒲田善一郎は代表取締役会長に就任。その記念パーティーでは、お得意様・仕入れ先様・金融機関様から多くの祝福を受け、有終の美を飾った。

創業70周年に併せて代表取締役会長に就任
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三代目社長 蒲田善明

1991年(平成3年)代表取締役社長に就任 三代目社長 蒲田善明

1955年(昭和30年)、善一郎の長男として誕生。一橋大学卒業後、野村證券を経て、1981年(昭和56年)にニッタ株式会社に入社。様々な経験を得た後、1984年(昭和59年)に蒲田工業に入社。2021年(令和3年)の現在も、蒲田工業の代表取締役として様々な変革に着手している。

三代目社長 蒲田善明のチャレンジ
第3代蒲田工業株式会社代表取締役社長に就任

1991年(平成3年)

時代変化の波はいよいよ激しさを増し、蒲田工業はさらなる変革を必要としていた。そのような中、自らが先頭に立ち、営業・新規開拓、採用・人材教育に取り組むことで、会社組織を強く、そして大きくすることを目指した。

第3代蒲田工業株式会社代表取締役社長に就任
港区高輪に本社を移転。営業所の改革を推進

1996年(平成8年)

お客様の新たな需要に応えるべく、様々な新製品の開発に取り組んだ。同時期に、本社を港区高輪に移設し、社内の環境整備も進めた。各営業所でも営業改革が進み、新しい時代の営業スタイルを確立し始めた。

港区高輪に本社を移転。営業所の改革を推進
独自製品KAMATAクリーンブースを軸に、展示会への出展を強化

2005年(平成17年)

長年に渡る製品開発が実を結び、独自製品KAMATAクリーンブースを生み出した。そして、展示会出展・新規開拓を強化。半導体製造を始めとする様々な現場で高まったクリーン化の需要とマッチし、生産・体制が拡大。この流れが環境エンジニアリング部(現クリーン事業部・エンジニアリング部)の創設へと繋がった。

1995年頃から開発した独自製品KAMATAクリーンブースを軸に、展示会への出展を強化
社内勉強会をきっかけに、Webマーケティング・ソリューション事業を開始

2006年(平成18年)

初代・2代目社長も大切にしていた”人材教育”に力を注ぎ、社内勉強会に力を注いだ。そこから、Webマーケティングにいち早く着手し、お客様の新たなウォンツを見つけ出した。さらに、御用聞き営業から脱却し、「ソリューションのKAMATA」と言う新たなビジネスモデルを築き始めた。

業界に先駆けてWebマーケティングを強化。
ZKカプラ事業を立ち上げ。日本全国に対応できる営業体制を構築

2014年(平成26年)

各営業所の新築や移転を進め、より細やかな営業体制を築き続けた。さらに、新事業「ZKカプラー」の販売を開始。同時期に、名古屋営業所を開設した。2019年に開設した大阪営業所を加えて、国内9箇所に営業所を構え、日本全国のお客様に対応できる体制を整えた。

ZKカプラ事業を立ち上げ。名古屋営業所を開設。
2018年には過去最高売上60億円超を達成。創業100周年に

2021年(令和3年)

2021年6月に100周年を迎えた蒲田工業は、今も変革を続けている。その根底にあるのは、「お客様のお役に立つ」と言う創業時から変わらぬ想いであり、それらは現代の社員にも引き継がれている。

2018年には過去最高売上60億円超を達成。創業100周年に
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蒲田善太郎

2020年(令和2年)専務取締役に就任 蒲田善太郎

1988年(昭和63年)、善明の長男として誕生。慶應義塾大学卒業後、ニッタ株式会社に入社。伝統あるベルト事業の経験を積み、2014年(平成26年)に蒲田工業に入社。次の100年を担う未来の経営者。

変わらないために、変わり続ける。
次の100年へ新たな挑戦

たくさんの方々に支えられ、本日を迎えることができました。本当にありがとうございます。これまでのお客様や仕入先様のご支援や、諸先輩方のご尽力を想像するだけでも尊敬の念に堪えません。

これからも諸先輩方が築いてこられた100年の伝統を継承しつつ、環境の変化が激しい時代に生きているのだと認識し、変化に対応していく会社を目指してまいります。

蒲田善太郎

次の100年は、今まで以上にお客様から【ありがとう】の声を頂けることを目指し、あくなきチャレンジ精神を持ち続け【お客様のお困りごと解決】の道を邁進してまいります。これまで支えてくださったすべての方々への感謝の気持ちを“力”に変えて、次なる100年に挑戦してまいります。

今後ともご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。

蒲田善太郎
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事業の変遷

「日本有数の代理店」と讃えられたベルト事業を皮切りに、
ソリューション事業、クリーン環境事業をはじめ、様々な事業に取り組んでまいりました。

ベルトのKAMATA

ベルトのKAMATA

100年続くベルト事業は、時代とともに進化・変化してきました。主要メーカーの代理店としての量販、日本最大規模のコンベアベルト納入、そして現代ではベルト加工や予知保全コンサルティングを提供しています。

ベルトのKAMATA
ベルトのKAMATA
ベルトのKAMATA
ベルト事業
ベルト事業

大正12年頃、ダンロップベルトの日本総代理店となり、大阪、東京・九州・大牟田へ展開。

ベルト事業

昭和30年頃、トーヨーベルトを販売。同時期に、ZKレーシングベルトを日本全国へ展開。

ベルト事業

昭和20年代、30年代の主力商品だったZKベルトレーシング。展示会にも出展した。

ベルト事業

日本鋼管福山営製鉄所に納入したコンベアベルト。当時では、日本最大級のコンベアベルトの納入となった。

ベルト事業

昭和55年に竣工した自社新工場。多品種少量に対応できる様々な設備が設置されている。

ベルト事業

お客様のニーズに合わせたきめ細やかなベルト加工事業。現代のベルト事業の主力となった。

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クリーン環境のKAMATA

クリーン環境のKAMATA

1990年代に始まったクリーン環境構築事業。様々な業種で品質管理基準が向上し、クリーン環境下での製造が求められる時代が始まった頃からクリーンブース・クリーンルームの設計施工を事業化。25年以上の歴史を経て蒲田工業の主力事業となり、3,000件以上の納入実績を達成しました。

クリーン環境のKAMATA
クリーン環境のKAMATA
クリーン環境のKAMATA
クリーン環境事業
クリーン環境事業

1990年代から開発・導入を開始したKAMATAクリーンブース。アルミフレームを利用し、軽量・高気密・レイアウトの自由度の高さなどを特徴に持つ。

クリーン環境事業

お客様のご要望の拡大・変化に合わせて進化を続け、断熱不燃パネルを利用した高機能のクリーンルーム設計施工にも対応できるようになった。

クリーン環境事業

CPF(細胞培養加工施設)の構造設備としてのクリーンルームにも対応。様々な業種でクリーン環境が求められる中で多くの実績を重ねた。

クリーン環境事業

KAMATAクリーンブースで培ったノウハウと経験を元に「KAMATA CLEAN TECHNOLOGY」と呼ぶブランドを確立。国内8箇所にクリーン事業部を配置した。

クリーン環境事業

2014年には、特定建設業許可(管工事・機械器具設置工事)を取得。クリーンルームと関連する付帯工事にも対応し、「ワンストップ」でのサービスを拡充した。

クリーン環境事業

「お客様の理想的なクリーン環境の構築する」をモットーに、クリーン環境の専門家として25年で約3,000件を納入。蒲田工業の主力事業として会社を牽引している。

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ソリューションのKAMATA

ソリューションのKAMATA

創業時から変わらない「お役立ちスピリッツ」が、工事管理・製造ライン改修・コストダウン提案などに発展し、「お困りごと解決」「ソリューション」という新事業に発展。営業所間の情報共有によってソリューション事例を蓄積し、幅広いお客様のお困りごと解決に貢献しています。

ソリューションのKAMATA
ソリューションのKAMATA
ソリューションのKAMATA
ソリューション事業
ソリューション事業

ゼットンホイール。お客様のお困りごとから生まれたニュータイプのホイール。

ソリューション事業

リアルタイムに可視化できる性能と幅広い使用用途を兼ね備えた圧力分布測定器。(ニッタ株式会社製)

ソリューション事業

軽量で気密性が高いアルミフレーム。富士営業所で設計製造し、お客様の仕様に合わせて柔軟にカスタマイズし納品している。

ソリューション事業

自動化・省力化の製造ライン用ロボット。製造ラインの問題点を解決する目的で、多くの仕入先様との協業しオリジナルロボットを設計製造している。

ソリューション事業

自動化・省力化にも通ずる機械設計。メンテナンスにもスピーディーに対応できる体制がKAMATAの強み。

ソリューション事業

ベルト加工にもソリューションのエッセンスを追加。お客様のラインに合う様々な加工を承っています。

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お役立ちスピリッツ

創業時から私たちが持ち続けている”お役立ちのスピリッツ”。
これは、「お客様の様々な課題を解決する」という私たちの決意を表しています。社員に脈々と受け継がれ、製品・サービスという形でお客様にお届けしています。
この「お役立ちのスピリッツ」を持ち続け活躍する社員、拠点となる営業所、そして未来の新しい形をご紹介します。

明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員

この100年間、多くの社員が蒲田工業で活躍し、お客様のご要望にお応えしてまいりました。地域、業種、そして時代は変わり続けてきましたが、社員たちの想いと行動力、そして明るく元気で前向きな姿勢は常に変わらず持ち続けています。

明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員
明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員
明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員
明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員
明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員
明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員
明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員
明るく、元気で、前向きな蒲田工業の社員

国内9箇所に展開されている営業所

蒲田工業では現在、国内9箇所に営業所を展開しています。これにより、日本全国のお客様からのご要望に対応できるようになりました。昭和27年から続く富士営業所、過去2度の撤退を乗り越えて2019年に新設された大阪営業所、京浜島本社工場から富士・埼玉へと移転した製造部門など、各地域のお客様と仕入先様に支えられています。

国内9箇所に展開されている営業所
国内9箇所に展開されている営業所
福山営業所
国内9箇所に展開されている営業所
京浜営業所
国内9箇所に展開されている営業所
相模原営業所
国内9箇所に展開されている営業所
静岡西営業所
国内9箇所に展開されている営業所
富士営業所
国内9箇所に展開されている営業所
関東営業所
国内9箇所に展開されている営業所
大阪営業所

”ワンストップ”でお客様のお困り事を解決する

多様化している製造現場では、課題・問題の複雑さが増しており、精度の高い解決策をスピーディーに提供することが求められています。
蒲田工業はこのようなお客様のお困り事を”ワンストップ”で解決することを目指しています。経験と実績を持つ社員が、技術を持つ仕入先様と共に、効率的でスピーディーな対応を心がけ、幅広い解決策をご提供いたします。

未来の形
未来の形
未来の形
未来の形
未来の形
未来の形

100周年記念ロゴマークに込めた想い

お客様、仕入れ先様、お取引金融機関様、社員、ご関係者様との繋がりが、蒲田工業の100年の歴史を作ってきました。その「繋がり」を表すように「100」をデザインし、皆様への感謝の気持ちを込めました。
これからも皆様の力と繋がりを大切に、新しい時代に立ち向かってまいります。

100年史年表

蒲田工業株式会社の100年間を振り返ります。

1921年(大正10年)
蒲田善蔵、東京都中央区芳町に蒲田商店を設立
羽田調帯の総代理店として発足
1921年(大正10年)

羽田調帯専務時代。(後列左から6番目が蒲田善蔵)

1921年(大正10年)

1921年ころの大阪出張所。京町堀にあった

1924年(大正13年)
ダンロップ護謨(ゴム)日本総代理店となる
1924年(大正13年)

当時のダンロップゴムベルトの雑誌広告

1924年(大正13年)

門司市にあった九州出張所

1929年(昭和4年)
四日市にゴムベルト製造のための新工場完成
1930年(昭和5年)
蒲田調帯を設立し、蒲田商店を買収する
1927年(昭和2年)

蒲田調帯設立当時の記念写真。(1929年)前列左から5人め鳥打帽が蒲田善蔵社長

1931年(昭和6年)
本社業務を四日市より東京銀座西6丁目に移転する
創業10周年
1941年(昭和16年)
創業20周年
1943年(昭和18年)
蒲田商店を蒲田工業株式会社に改組する
1943年(昭和18年)

1942年11月の社員旅行。後列左から3人めに蒲田善一郎、4人めに蒲田善蔵。前列左から4人めに、蒲田きよゑ

1947年(昭和22年)
品川区五反田にZKレーシング製造株式会社を創立
1947年(昭和22年)

五反田工場のレーシング製造工場。(写真は1952年に撮影)

1948年(昭和23年)
銀座6丁目に社屋を竣工する
948年(昭和23年)

銀座事務所前で、新年顔合せ。(写真は1952年に撮影)

1950年(昭和25年)
ゴムベルトの販売で東洋ゴム工業と総代理店契約を結ぶ
1951年(昭和26年)
創業30周年
1951年(昭和26年)

左が蒲田善一郎、右が蒲田善蔵。(写真は1953年に撮影)

1952年(昭和27年)
静岡県富士市に出張所を開設
1952年(昭和27年)

富士出張所前での社員集合写真

1954年(昭和29年)
中央区銀座6丁目に第二蒲田ビルを竣工する
1955年(昭和30年)

1954年に完成した第二蒲田ビル

1960年(昭和35年)
蒲田工業は優良企業として東京都知事表彰を受ける
1961年(昭和36年)
蒲田工業は優良企業として中小企業長官表彰を受ける
創業40周年
1961年(昭和36年)

五反田工場正門にあった表彰楯

1962年(昭和37年)
蒲田善一郎、社長に就任
大阪出張所開設
1962年(昭和37年)

大阪営業所前での社員集合写真

1965年(昭和40年)
福山営業所開設
1966年(昭和41年)

福山営業所前での社員集合写真

1974年(昭和49年)
富士営業所社屋フジカマタビル落成
1975年(昭和50年)

フジカマタビル完成記念パーティー

1975年(昭和50年)
京浜営業所を開設
1980年(昭和55年)
大田区京浜島に本社事務所、工場を新設
1981年(昭和56年)

京浜島の本社工場

1981年(昭和56年)
創業60周年
1983年(昭和58年)
静岡県吉田町に静岡西出張所を開設
1985年(昭和60年)
京浜営業所を新築落成
1985年(昭和60年)

京浜営業所

1987年(昭和62年)
相模原出張所を開設
1988年(昭和63年)
南関東出張所を開設
1990年(平成2年)
富士営業所を富士本町より水戸島1丁目の新社屋に移転
1991年(平成3年)

富士営業所前での社員集合写真

1991年(平成3年)
福山営業所社屋を改築
創業70周年
1991年(平成3年)

創業70周年記念式典並びに会長・社長の就任披露パーティ

1994年(平成6年)
南関東出張所を草加市に移転と同時に関東営業所に改名
銀座蒲田ビル改築完成
1994年(平成6年)

銀座蒲田ビル

1996年(平成8年)
本社を大田区京浜島から港区高輪に移転
2000年(平成12年)
富士市五貫島開設 加工・配送センターを移転
2003年(平成15年)
環境エンジニアリング部を創設
2005年(平成17年)
熊本県上益城郡益城町に熊本営業所を開設
2008年(平成20年)
静岡西営業所新社屋を完成
2008年(平成20年)

静岡西営業所

2009年(平成21年)
相模原市南区古淵に相模原営業所を移転
2010年(平成22年)
富士市五貫島に富士事業所を設立
2010年(平成22年)

富士事業所。営業所とベルト加工・アルミフレーム加工工場を併設

2014年(平成26年)
名古屋事業所を設立
環境エンジニアリング部をクリーン事業部に改名
製造部をエンジニアリング部に改名
2017年(平成29年)
関東営業所を新築移設
京葉分室を関東営業所に統合
2017年(平成29年)

関東営業所

2019年(令和元年)
大阪営業所を開設
2019年(令和元年)

大阪営業所